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浦和家庭裁判所 昭和56年(少)3727号 決定 1981年9月02日

少年 N・S(昭三七・一・三生)

主文

少年による本件非行事件を浦和地方検察庁検察官に送致する。

理由

(非行事実)

少年は都立○○工業高等学校での学業成績が優秀であつたところから、推薦入学により昭和五五年四月に○○大学工学部機械工学科に入学し、授業には熱心に出席して勉強すると共に柔道部に入部して部活動にも励み、勉強と部活動との両立に努力を続けていたものの、昭和五六年三月ごろには努力した割には学業成績が思わしくないことを知り、勉強と部活動との両立に悩みはじめ、その両立を図るため、同月二九日ごろ大学の近くに下宿したが、両親と離れて生活することに耐えられず、一日で両親の許に帰るという状況であり、父から「二、三日住んでみた後で引き上げるようにしたら」とたしなめられたため、同年四月六日ころから下宿に戻つたものの、耐えられず、同月九日の朝父に「どうも頭がおかしい、何もやる気がしない」などと電話したことが契機となり、同日以前に母が入院していたことのある神奈川県川崎市○○区に所在する○○保養院を母に連れられて訪れ、診察を受け、「うつ状態」と診断され、「二ヶ月スポーツ停止」の診断書をもらい、これを提出して柔道部を休部し、両親の許から通学して勉強に集中しようとしたが、ついて行けない科目もあつて勉強に対する自信を失い、自分の将来に期待を持てない精神状態に追い込まれ、勉強自体に対する意欲さえ失いはじめていたものであるが、

一  同年五月三日から五日にかけての連休はその頃の住居であつた埼玉県川口市○○町×番×の××号所在の○○ビル九階の九〇九号室に閉じこもり、自殺することに思いを巡らすと共に平凡パンチ、プレイボーイなどを読み、性的関心を高めていたところ、同月六日午前七時三〇分ころ、前記の当時の住居において、自殺をする前にいまだ性経験がなかつたところから、同じ九階の二軒東側に居住していた顔見知りの主婦A子(当時三四歳)を強いて姦淫しようと企て、同日午前一〇時三〇分ころ、自宅からは両親が外出し、同女宅では夫が外出している頃を見計らつて、自宅台所から果物ナイフ一本(刄体の長さ約一二センチメートルのもの)を持ち出し、これをズボンのポケツトに隠し持ち、同所×番×の××号の同女宅を訪れ、応待に出た同女に対し「ちよつと折り入つて相談したいことがあるのですが」などと申し向け、表側出入口から同女宅に入り、その挙動に不安を感じた同女が室外に逃げだそうとする態度を示すや、これを阻止するため、同女に前から抱きついてその場に押し倒し、前記果物ナイフを取り出し「騒ぐと殺すぞ」と脅迫したが、それでもさらに逃げ出そうとする気配が感じられたため、同女が死に到るのも意に介せず、同女の首を右腕で抱きかかえるようにしながら、前記果物ナイフで同女の後頭部、後頸部、腰部など一〇数ヶ所に切りつけたり、突き刺したりしたうえこれによりぐつたりとした同女の下着を取り、強いて同女を姦淫しようとしたが、陰茎が勃起しなかつたため、その目的は遂げなかつたものの、前記切りつけ、突き刺しにより、即時同所において、同女を椎骨動脈の損傷などにより失血死させ、もつて同女を殺害した

二  前記日時、場所において、業務その他正当な理由がないのに、前記果物ナイフ一本を携帯していた

ものである。

(適条)

殺人非行 刑法一九九条

強姦致死非 行刑法一八一条(一七九条、一七七条前段)

銃砲刀剣類所持等取締法違反非行 同法三二条三号、二二条

(処遇)

一  少年はひとりつ子であり、母の精神分裂病などによる三回の入院にもめげずに努力を続け、その結果として推薦によつて前記大学に入学しえたのであつて、その生活は真面目そのものというべく、これまでに前科、前歴はないが、殺人を中心とする本件非行は自己の性的欲求の満足を図るため、病弱な二児の養育に専念していた人妻の命を奪い、その家庭に根源的な苦しみを与えたものであつて、その罪責は極めて重く、少年に有利な前記の事情を考慮に入れても、少年が責任能力を有している限り、本件非行については少年法二〇条による検察官送致をなし、いわゆる刑事処分によつてその責任を追及するのが相当であると思料される。

二  そこで、少年が殺人を中心とする本件非行を犯した際に責任能力を有していたか否かについて検討することになるが、少年による本件非行についてはその犯行の直後から、母のこともあつて少年に精神分裂病を中心とした精神障害がないかが捜査の中心となり、昭和五六年五月一三日には少年の承諾による医師Bの診察、同月一九日には医師Cによる鑑定(鑑定留置同日から同年六月二日まで)がそれぞれなされており、それらの結果によると、少年が本件非行の当時精神分裂病であつたことを疑わせるに十分であつた。したがつて、この事件送致を受けた当裁判所としても第一回の審判において付添人の意見をきいたうえで少年の精神鑑定を行うこととし、これを○△大学D教授に依頼し、同年六月二三日から同年八月二二日まで少年に対する鑑定留置をなしたところ、その結果と鑑別結果報告書などによると、同年七月に入つてからは少年に精神分裂病を疑わせるに足る所見は全く見られないのであつて、精神分裂病は一応否定できる精神状態にあることが認められ、本件非行当時についても精神分裂病は否定できるのである。しかし、少年は本件非行を犯す約一月半位前から勉強と部活動との両立に悩み、気分の抑うつ、意欲低下、生命感低下、思考と行動の減少などを主症状とするうつ状態にあり、学業、友人との交際は続けていたものの、自ら精神科医の診断も受け、自殺の心配もあつたのであつて、このような少年の精神状態が本件非行時の少年の責任能力に影響を与えていたのではないかとの疑もないではないが、少年のうつ状態はそれが内因性うつ病に起因するものとも反応性のものとも断定できないものの、一応学業と友人との交際が続けられる程度のものであつて、高度のものではなく、本件非行で逮捕されて勉強と部活動との両立の悩みが解消されるや、間もなくして解消されているところからすると、前記両立の悩みに起因する反応性の疑いが強く、その程度としても日常よく見られる軽度のものであると思料される。

なお、少年の本件非行時の責任能力を検討するに当つては、少年が同年四月九日から服用していた抗うつ剤や本件非行の前に服用した頭痛薬バツフアリンの副作用による抑制力の低下が本件非行の実行を容易ならしめたのではないかとの疑いもないではないが、これも全く影響がないとはいえない程度のものであつて、影響があつたとしても、それはたいしたものではないのである。

以上のような少年の本件非行時の精神状態からすると、少年が心神喪失の状態で本件非行を犯したとは到底いえないのであつて、前記非行事実として記載した動機は十分に了解しえるところであり、前記うつ状態とこれに対する抗うつ剤などの影響により事物の理非善悪の弁識に従い行動する能力が減退していたことは認められるものの、その程度が著しいものといえるかは断定できないのであつて、これからさらに解明を要する状態にある。

三  してみると、少年が責任能力を有する状態で、殺人を中心とする本件非行を犯したものであることは明らかであるから、これを刑事処分相当として検察官に送致することとし、少年法二三条一項、二〇条本文を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 中山博泰)

〔参考一〕 検察官作成の送致書記載の審判に付すべき事由

被害者は、

(一) 近くに住む顔見知りの主婦を果物ナイフでおどして姦淫しようと企て、自宅から果物ナイフをかくし持つて、昭和五六年五月六日午前一〇時三〇分ころ、埼玉県川口市○○町×番×~××号E方を訪れ、同人の妻A子(三四歳)に対し「ちよつと、折り入つて相談したいことがあるのですが」等と申し向けて、表側出入口からE方の玄関に入り込み、不審に思つた右A子が室外に逃げ出そうとするや、これを前から抱きついてその場に押し倒し、所携の刃体の長さ一二センチメートルの果物ナイフを取り出して「騒ぐと殺すぞ」と脅迫したが、同女が更に逃げ込もうとしたので、ここで逃げられては、自己の犯行が発覚することを恐れ、同女を殺害してでも姦淫しようと決意し、右腕で同女の首を抱きかかえるようにしながら、後頭部、後頸部及び腰部一〇数ヶ所に右ナイフで切りつけ突き刺し、よつて即時同所において、同女を椎骨動脈の損傷等により失血死させて殺害し

(二) 前記日時場所において、業務その他正当な理由がないのに、刄体の長さ一二センチメートルの果物ナイフを携帯したものである。

〔参考二〕 少年調査票<省略>

〔編注〕 少年は、昭和五六年一一月一二日、本件検察官送致決定と同様に、強姦致死・殺人を第一事実、銃砲刀剣類所持等取締法違反を第二事実として、公訴を提起された。

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